不正に対して不正で応じることも不正である。脱獄を目論んだ友人を諭したソクラテス
ソクラテス<下>ソクラテスの死・後編
死刑執行の日
不正をして生き延びるよりも、正義を貫いて死ぬほうが、ソクラテスにとっては善き生き方であり、幸せな生き方となる。
ただ、そもそもソクラテスは死んであの世に行くのを楽しみにしていたふしがあるし、70歳という年齢は当時としてはかなりの高齢だったから逃げたところでそれほど長生きできるわけでもないと感じていたのかもしれない。
夜が明け、弟子たち、妻のクサンティッペと子供たちがソクラテスの最期を看取るため、いつもより早い時間に牢獄へ集まってきた。ソクラテスを敬愛するプラトンは残念ながら病気のために来られなかったようだ。
刑務委員の者がソクラテスに死刑執行の日が訪れたことを告げるとようやく、番人が弟子と家族を牢獄の中に入れ、最後の面会が許された。
泣きわめくクサンティッペに困ったソクラテスは「クリトン、だれかがこれを家に連れていってくれるとよいのだが」と言い、妻を帰らせた。
死を楽しみにしているように見えたソクラテスも、もしかしたら妻との今生の別れを考えると穏やかな気持ではいられなくなり、別れを早めに済ませたいと思ったのかもしれない。
クサンティッペを帰らせた後、ソクラテスはベッドに座りながら友人や弟子たちと魂の不死について語り合った。肉体が死んでも魂は死後の世界に生き、永遠の生を手にすることができるとソクラテスは考えている。だから、死とはソクラテスにとって希望に満ちた門出であった。
死刑執行は日没の時間と決まっている。それまでの間、ソクラテスは死んだ後に他の者が身体を洗う手間を省けるようにクリトンと共に水浴びをした。そこでは、三人の子供たちと最後の言葉を交わしたようだ。
日没が近づき、係の者が毒薬の入った杯をソクラテスに渡す。毒薬は「どくにんじん」の種を砕いて汁を絞ったものだった。
ソクラテスは「アスクレピオス様に雄鶏の借りを返してください」と遺言を残し、杯を飲み干した。アスクレピオスとは医の神で、ソクラテスは健康を願い願をかけ続けてきたのである。健康を保ち続けてきた肉体を失う今、神への感謝のために雄鶏を奉納して欲しいというのが、遺言の意味なのだろう。
杯を飲み干した後、悲しみにくれて涙する友人や弟子たちのまわりをゆっくりと歩き周ってから、ソクラテスは仰向けになり息を引き取った。
肉体にこだわりを持たないソクラテスは、クリトンに対して死んだ後はきみの好きなように埋葬してくれと頼んでいたそうだ。
ソクラテスは亡くなるまで書物を書き残さなかったため、主に弟子のプラトンが書き残した文章からしかその思想を知ることができない。
プラトンが書いたソクラテス像は、多分にプラトン自身の考えが入っていただろうから、どれだけソクラテスの真意を伝えているのかもわからない。
だから、あの世にいるソクラテスはきっと、2400年以上経った現代でも自分の考えが読み継がれていることを喜びつつも「間違って伝わっているなあ」と皮肉を言っているのかもしれない。
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